山海の幸 「福喜寿司」

hukizushi_01駅 名:山海の幸
企業名:福喜寿司
駅長さん:柴田美津子
住所:白山市道法寺町イ35-1
TEL:273-1737

月曜・月1回火曜日定休
地元を中心に30年間ご愛顧いただいている寿司屋です



創業まで

私は七尾の田鶴浜出身で、金沢にあった福喜寿司(いまの香林坊東急裏)で9年間修行しました。そのあと高岡で新しい店をまかされ、そこで頑張っていました。そのときに、高岡信用金庫にいた今の女将と結婚し、こんどは金沢の額乙丸に空き店があったので、自分の店として開業しました。

今の店舗のうしろにその空き喫茶店があって、家賃くらいでやれるなら、と乗り気になったのですが、開業資金を金融機関にたのみにいったときに、当時この回りが一面の田んぼだったので、融資担当者から不安がられたことを覚えています。しかしいざ開業してみると、近くに店がなかったことが幸いして、お客さんがよくきてくれました。店の前の道は、鶴来と金沢を結ぶ幹線だったので、「街道一の寿司屋」としてずっと商売してきました。

いまの店舗は開業当時の喫茶店のとなりにあった米森鉄工の事務所でしたが、務拡張で辰口に移転したので、頑張ってこの土地も買いました。昭和50年にその事務所を寿司屋に改装しました。

おもなお客様

法事や宴会などのお客様が多いです。昔は近所のひとがほとんどでしたが、いまは遠くからお客様が来るようになったので、送迎用のバスを2台準備しました。従業員に免許を取らせて白峰や小松、金沢などにお客様を送迎しています。

和室宴会場をはじめ、大小部屋があります。宴会場は畳敷きですが、イスとテーブルが用意されており、和服の女性や中高年の方がたに好評です。

仕入れ

私が元気な頃は、毎日氷見まで魚を仕入れに行っていました。道路事情も良くなく、深夜に出発して魚を仕入れてから、仕込みをやって、店を開ける毎日で、寝る間もありませんでした。

その後氷見から魚を届けてくれる業者が見つかったので、今もそこから持ってきてもらっていますが、同時に金沢の卸売市場へはうちの二代目が毎日仕入れにいっています。彼は金沢の寿司屋で修行してきていますが、今までの福喜寿司とは違ったやり方で運営してくれるだろうと楽しみです。

従業員

今のスタッフは全部県外から来ています。千葉、山梨、富山、滋賀など。千葉出身のスタッフはもと工業大学の学生でしたが、店の機械がわかるので重宝しています。ここで修行して松任に福喜寿司ののれんを出した者もいます。

また氷見や大野から寿司屋の二代目も来ていました。寿司屋の修行場所として預かっているのが多いです。特に募集するわけではないのですが、業者の紹介などで来ています。

いわな寿司

寿司屋の商売はお客様の波があります。そのときにお土産ものでもつくればどうかと相談し、ワッパ入りのイワナ寿司をつくっています。いまはレスト中宮で扱ってもらっています。店にはいつも置いてある訳ではないので、ご予約ください。

福喜寿司は地元の皆様にかわいがっていただき、これまで続けて来られました。地元の寿司屋から始まって、いまでは遠方からもお出でになります。ご宴会だけでなく、ご家族のイベントや、たまに美味しいものが食べたくなったときなどに、お気軽においでください。

二代目

高校を卒業したらすぐに二代目を継ぐと思っていたのに、どうしても大学へ行かせてくれと言って東京に出ていた息子が、築地のまぐろ屋や東京の料理屋での修行から帰り、金沢のお寿司屋さんでも修行させてもらい、ようやく店に戻ってきてくれたと安心していました。

が、先代が急にいなくなってしまい、十分な引継ぎもなく、一体どうなるかと心配をしましたが、お客さんや業者の皆さんに助けられてなんとか頑張ってくれています。

新店舗

トイレが狭いのと、あちこち老朽化が進んで、手狭になっておりましたので、店の改装はしたいと先代がいた時から、話をしておりました。

そんなとき、確か24年春ごろ㈱ヨネモリの会長さんから、向かいの駐車場として借りているところと隣の地面を使って、思い切って建てたらどうかという話をいただきました。

はじめはそんなたいそうな大事はとても無理と思っていましたが、親身になって相談に乗ってくださる㈱ヨネモリさんや銀行さんの熱意にほだされて、営業をしながら隣地で新築工事もできるし、26年には消費税も上がるし、その前に完成できるという話に、思い切るのは今しかないと、一大決心をしてお願いすることにしました。

出来たら、派手なことはしたくないので今までののままの状態をそっと移す感じでと…。
それから㈱ヨネモリのスケール設計の米森武夫さんには図面を何回も何回も、描いていただき微に入り相談に乗っていただきました。

25年4月8日。前日から雨模様だったのに、地鎮祭の始まる10時には急に雲が割れ、青空が見え光が差してきたときには、未来に陽が差し込んだようで嬉しかったのを覚えています。

4月29日は建前で次々に柱が建っていく様は、壮観でした。

田舎のちっぽけな寿司屋なのに、身に余る太い柱を何本も使ってもらって建つ様は…。
100年は大丈夫!となぜか思ったのを覚えています。頑張らねば!!

9月22日で現店舗での営業が終わり、先代とじいちゃんが能登から連れてきたカウンターや、使える家具は出来るだけ新店舗に移したいので、そのための工事が始まります。また、沢山残して貰った道具も新しい所でこれからもがんばってもらうため、きれいにして移すなどの引っ越しがあるため10月中を休みにして、11月から新店舗での営業が始まります。

新しい店と引き換えに旧店舗が解体されることになるのは、仕方がないとはいえ一寸寂しい思いがあります。

新店舗は道路を隔てて二か所だった駐車場が一か所になり広くなります。一階は鶴の間は家庭用の6畳間。松の間はイス席で8名様まで。竹・松の間は掘りごたつ式で12名様。玄関脇の鈴の間は4名様用のこじんまりした部屋を用意しました。はじめはエレベーターをと思っていましたが、諸事情で無理をしたので車いすの方のおいでるご法事には松・竹・梅を繋げて20名様までの御会合にも使っていただけたらと思っております。

今回の店を作るにあたっての一番の重要項目に、「トイレを快適に」をあげておりましたので、トイレにはこだわっていただき、車いすの方にも使っていただけるように、広めの空間を男女ともに作りました。

二階の広間は前より広めにしましたので、5~60名様までご利用いただける広さにしていただきました。これは3~40名様の会合をゆっくり使っていただけたらという思いからです。また、どのような会合にも使っていただきやすい部屋をという思いから15~6名様用の部屋も階段を挟んで作りました。二階のトイレも男女別々の場所に2か所ずつ用意してあります。階段もゆったりとして勾配も緩くなりました。

建物が出来たらあとは中身。

従業員一同これまで以上に美味しい食事をご提供できますよう、ますます精進してまいりますので、何とぞよろしくお願い致します。