駅 名:総桐箪笥と上質桐材
企業名:(株)町八家具
駅長さん:町享治
住所:白山市鶴来今町タ181
TEL:272-0038
ホームページ https://www.machihachikagu.com
定休日:木曜日
総桐箪笥の販売や、桐たんすの洗い直し承ります。
歴史
古いことはわかりませんが、祖母の話によると、鶴来の東町あたりで10代を超える古い家だったのではないかということです。明治ころには鶴来町にぜんぶで8軒の「町」の分家がありました。今鶴来に残っているのは本家筋の当家のみです。
当家の歴史に残っているのは明治初期に生まれた襲名制最後の八右衛門で、体格が大きく、豪放磊落なひとでした。町に現存する小川幸三の墓や、白山比神社の杉の木、別院や金劔宮や一閑寺への各種寄進を行って財産を費消し、現在の本店所在地である今町に移ってきました。町八家具の名は、町八右衛門に由来します。
八右衛門の次の次三郎、八十次の代は養蚕用の桑の種や蚕の種紙を扱っていましたが、明治末期から桐材を扱う問屋をはじめました。金沢の春日町にも竹屋や桶屋、かご屋とならんで桐箱屋や建具屋などがあり、そこに桐板を売ったものですが、のちに自分のところでも桐たんすを売りはじめるようになりました。
祖父である亦幸は二次大戦海軍で戦死しましたが、その妻、初(はつ)が家業を継ぎ、昭和39年に町八家具を設立し、昭和50年株式会社に改組、昭和54年に現店舗を新築し、今に至ります。
鶴来の桐
といっても鶴来町で産する桐ということではありません。昔から旧河内村や旧吉野谷村、旧鳥越村など手取川流域の集落をあわせて鶴来谷といい、桐の産地として有名でした。
特に中宮集落周辺の桐などは一級品で、会津桐といって市場に出しても通用するほどの品質でした。大正から昭和にかけて旧鶴来町には桐を扱う問屋が十数軒ほどあり、鶴来谷で産する良質の桐材を石川線の鶴来駅で貨車積みして京阪神に向け、盛んに販売していました。
よい桐材
お客様にもよく聞かれますが、必ずしも木目がきっちり詰まった木がよいとは限りません。日当りの良いところで、肥やしの無い、養分をあっちこっちから自分で引っ張ってきて力強く生きてきた木が良い材になります。
良い桐は太くて、木目もさくっとした手触りです。硬くてねっとりしていたり、柔らかすぎるものもだめです。さきごろ社長である父の寿(ひさし)が築地の銘木店から、めったに無い会津桐の良材を入手しました。
一生で一番良い桐に出会ったと喜んでおります。非売品ではありませんが、できれば2.7メートルの大きさを生かして看板などに生まれ変わってくれればと願っております。
受注生産
うちで販売する家具の多くは、職人に材料や金具を支給して作らせています。家ぐるみで職人をやっているうちが4軒あり、むかしから全て町八だけの仕事をやってもらっています。桐箪笥はもちろん、やまと火鉢も衝立てもTV台も整理ダンスも、図面からつくってお客様の注文通りに仕上げています。
というわけで、店舗にある展示品を単におすすめしているだけではありません。今すぐにお望みの家具がほしいなら、残念ですが品揃えの豊富な大手家具チェーン店を、とおすすめしています。
割安な手作り品
町八の桐箪笥は、昔ながらの職人の手作業で作られます。かんなやのみなど、工具代もたかが知れています。材料の木材代もたいしたことはありません。かたや機械で大量生産する家具の場合は、コンピュータ制御の高価な木工機械を償却するコストが、家具の代金に上乗せされています。
このような家具の本当の価値とは何でしょう。何世代にもわたって使い、修理することの出来る桐箪笥は、長い目で見れば決して高いものではないと思います。
家具屋という商売
いまは新築の住宅を作っても家具は作り付けが多く、婚礼家具と言っても何台も注文があるわけではありません。このようなわけで、インテリアの家具店はあっても箪笥屋がなくなりました。桐箪笥を今でもまだつくっている町八などはどうも時代に取り残された商売をやっているといって良いかもしれません。
たまの桐箪笥の修理も、職人の技術が途切れないように細々とお受けしている程度です。むかしは県内でも良い箪笥屋さんがいくつもあり、職人も大勢いましたが、今は箪笥の金具をつくる職人さがしだけでも大変です。
昔ほどではありませんが、今でも着物を持った方は和ダンスをお求めになります。またかさばる婚礼セットよりも、良い桐たんすをひとつだけというご注文もございます。最近は50年100年と長持ちする家具を欲するひとがじわじわ増えて来ているのが救いです。
町八はこれまで、流行らないものや売れないものばかり扱って来たので、かえって今日まで残ってこられたのかも知れません。
特別注文
先日、5-600年以上もつ、染め物を入れる総桐製の箱を作ってほしいと依頼されました。試行錯誤の末、ボンドのりをつかわないように伝統工法で組み立て、ふたを作り、さらに3重のおおいをつくりました。
また、金沢の有名な料亭の内装用の扉板の注文がありました。完成した扉板には絵が描かれるようになるので、材料のゆがみや割れは御法度です。本当に良い桐があり、60センチ幅の板を4枚つかって加工しました。このようにして扉板ができてから15年後にはじめて、著名な日本画家によって竹の絵が描かれたそうです。
町八では桐箪笥以外でも、天井や作り付けの家具や扉など、桐をはじめとする豊富な材料を生かしたご注文があれば、なんでもお受けしております。
古くからの町鶴来へお出での際には、古い商売を守っているうちの一軒として、ぜひ当店にもおいで下さい。自慢の家具を展示する建築中の蔵も、れんがと桐材と白山市の市木であるブナで仕上げることにしており、近日公開予定です。